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ルキーノ・ヴィスコンティ―ある貴族の生涯  その2 - 2008.11.30 Sun

「ルキーノ・ヴィスコンティ―ある貴族の生涯 」 その2

visconti04.gif



~ <ルキーノ・ヴィスコンティ―ある貴族の生涯 > その1 からの続き ~

発作から2年、ルキーノ・ヴィスコンティは、
<家族の肖像>の撮影に取り掛かることになった――



*27章 老いと現代的暴力の影――団らん図が象徴する<家族の肖像>
――1974年4月8日、発作から2年足らず、ヴィスコンティはチネチッタ撮影所に復帰した。
ヴィスコンティがメガホンを取るとなると関係者全員が特別な高揚感に包まれ、緊張感を抱く。 特に今回の興奮はいつになく厳粛であり、胸をつかれるような気配さえはらんでいた。


スタジオには、フェリーニからの花束とメッセージも届けられていた。
この件では、自分が関係者の一人にでもなったような気になって、じーん・・・としてしまった。

こんなエピソードもある。
この<家族の肖像>の撮影中、リリアーナ・カヴァーニがセットを訪問する。
彼女の新作 <愛の嵐> を没収処分にしようとする治安判事との闘いで、ヴィスコンティが彼女を援けたことに対する謝意のためだった。
ほえ~、リリアーナ・カヴァーニがねえ! はあはあする。

この後、再び <魔の山> 映画化の企画が持ち上がる。
主役のハンス・カストルプ役にはヘルムート・バーガー、マダム・ショーシャ夫人にはシャーロット・ランプリングを充てることに決めていた。
へぇ~、これまたすごいキャスティングだったな。

イノセントの撮影を始める前にヴィスコンティは、自室で転んで右足と右肩を骨折した。
左半身に麻痺が残る状態でこの怪我である。
しかし、ヴィスコンティは戦う姿勢を崩さない。

「生命が私の死を望んでいるのはわかっているが、まだまだ だめだ。
やるべき仕事が残っている」


この作品のcastingは当初、アラン・ドロンとロミー・シュナイダーにと希望していたが、この時既にドロンはスターになっており、ギャランティの契約関係で使えず、ロミーは妊娠中だった。
そこで、ジャンカルロ・ジャンニーニとラウラ・アントネリになった。
当初のcastingだったらどうなっていたか? 観たかった気もする。 主人公 トゥリオ = ドロン、はまるなあ。 びったりだわよ~

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<山猫>のアラン・ドロン うっとり・・・

トゥリオ夫妻が広壮な屋敷でのコンサートに出席する場面は、コロンナ宮で撮影された。
ヴィスコンティは自分の甥や姪、さらにそのこどもたちまでコンサートの観衆に仕立てて、場面にリアリテイを持たせたという。
ほお~~~(ためいき) ヴィスコンティの親戚だったらリアリテイばっちりだわね。

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ジャン・カルロもステキだわ (ルキーノの左手は麻痺したまま)


*29章 生命に私が支配される――<イノセント>とブラームスに送られて
<イノセント>の撮影が終了し、後は編集を残すだけの段階になった時、ヴィスコンティはインフルエンザにかかった。
1976年3月17日、ローマ フレミング街101番地の住居で、ブラームスの第二交響曲を数回聞いてから、ふいに妹のウベルタの方を向いて、「もう充分だ」 と言った。
そして間もなく帰らぬ人となっていた。

ヴィスコンティの死後ほどなく、スーゾ・チェッキ・ダミーコ(脚本家、ヴィスコンティ作品脚本の共同執筆者、長年の友人)の娘 カテリーナ・ダミーコ・デ・カルヴァロがヴィスコンティの生涯と業績をまとめた「ヴィスコンティ展」を実現した。この企画は世界中を巡回した。
(→これは後に 「ヴィスコンティ・フィルムアルバム」(新書館) にまとめられる)

カテリーナのコメント:
――この展覧会の為にいろいろ調べている過程で、わかったことがひとつあります。
それはヴィスコンティがおそろしく幸福な人だったということです。
この人は一つの選択をして、それを守り通したのです。つまり自分自身の創造力に従うこと、そして完全に信じられない事はけして引き受けないという選択です。
最後の映画も撮り終えて、もう病気を征服できる可能性がないと思い知った時になって、ようやくこの人は世を去ったのです。



この本は次の文で終わっている。

――人類はおびただしい残酷と醜悪と凡庸を生み出しはするけれども、また片方でその存在自体が、芸術と節操と勇気の誇り高き作品であるルキーノ・ヴィスコンテイのような人間をも生むことができるのであって、この事実を彼ヴィスコンティの業績が証拠立てているのである。


visconti01.jpg


***

もうひとつのヴィスコンティ本、ジャンニ・ロンドリーノ <ヴィスコンティ―評伝=ルキノ・ヴィスコンティの生涯と劇的想像力> によると <ルートヴィヒ>(完全版) について――
MGMとの契約で、上映時間が3時間を超えてはならない、という条項があった。
それで編集は難航したのだが、実際上映されたのはさらに切り詰めたものだった。
(→これが2時間23分欧米版)
ヴィスコンティの死後2年目の1978年に、配給会社が倒産した為フィルムは競売に出された。
彼と親しい関係者たちが買い取り、可能な限りオリジナル版を復元しようと試みた。
切断されたネガの再発見、再構成、編集およびプリントの焼き増しの仕事はイタリア放送協会の協力の下、スーゾ・チェッキ・ダミーコとエンリコ・メディオーリ(共に脚本家、ヴィスコンティ作品脚本の共同執筆者、長年の友人)が先頭に立って事を進めた。

――購入を決めた時点で既に、ヴィスコンティの望んでいたと思われる形にできるだけフィルムを戻そうと考えていた。この仕事をするには、私たちと同様に全過程を通じてこの仕事に従ってくれた人たちの協力が必要だった。
製作主任のトレンティーニ、編集のマストロヤンニ、カメラマンのナンヌッツィ、録音のマルデージ、作曲家のマンニーノの協力を得た。
この計画にあたり、彼らにさまざまな質問をし、意見の一致をみたわけだ。
これに、美術のガルブリア、衣装のピエロ・トージ、衣装会社社長のティレリ、それにヴィスコンティの妹ウベルタが加わった。

カットされたかなりの場面の再構成―ヴィスコンティならこうするだろうという大筋に沿ってなされた編集によって生まれた版が、今我々が完全版と呼んでいる<ルードウィヒ> である。

先日観た <ルードウィヒ>(完全復元版) がこういう経緯で完成したと知り、感動を覚えた。 先のカテリーナの言葉ではないが、「ヴィスコンティはおそろしく幸福な人だった」 と思う。
この作業に加わった人たちに心からの感謝と敬意を表したい。


bfi-00m-n0v.jpg


関連記事 :
<ルートヴィヒ>

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